株式会社ハナビヤ

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遠山貴一のひとりごと

宮崎から上場を目指すと決めた日

宮崎から上場を目指すと決めた日

 

「僕の会社、上場目指してるんです」

最近ようやく、こう言えるようになった。

 


きっかけはEOだった

EO(Entrepreneurs' Organization)という経営者団体に入って、たくさんの経営者の知見に触れた。上場という手段があることを知った。

その中で聞いた言葉がある。

「ロックスターはオリコンを目指してない」

最高のワードだった。

じゃあ俺らが宮崎でロックな企業になるには? この言葉を聞いてから、ずっと考えていた。そして出てきた答えがIPOだった。

もし都会に会社があるのなら、僕はIPOを目指さなかった。宮崎という土地で起業家である意味を真剣に考えたら、この選択肢にたどり着いた。


「うち、金がねーから就職せんといかんとよね」

なぜそこまで宮崎にこだわるのか。

僕は宮崎生まれ宮崎育ち。東京に6年いたけど、帰ってきた。

帰ってきて見えた現実がある。宮崎の人間が、県外からの誘致企業に「安い労働力」として働いている。地元の人間として、それが悔しかった。

そしてこの悔しさの根っこは、もっと前にある。

高校3年のとき、友達が言った。

「うち、金がねーから就職せんといかんとよね」

この言葉が、いまだに頭にこびりついている。

進学したいのに家庭の都合で諦めて就職する友達がいた。高校の学費を奨学金で賄っている友達が何人もいた。

あの頃、周りを見渡しても選択肢が少なかった。進学するか、地元の企業に就職するか。挑戦したくても、挑戦できる場所がなかった。

宮崎は今も、地元の老舗企業と県外からの誘致企業が中心の街だ。若者の選択肢は限られている。地元に残れば、安定はあっても挑戦できる環境は少ない。

県外から来た企業で働いても、スキルが身につくかも、都会への一歩になるかも、そんな淡い期待を胸に勤務して、結局辞めていく子も多い。

都会へ出て帰りたいと思っている人たちは、帰っても仕事がないからと、帰りたい気持ちをグッと堪えて移住した土地に住み着く。

上場している企業は7社しかない。そのうち2社は銀行。地元の生え抜き企業は3社だけだ。他県と比べても圧倒的に少ない。

この街は東南アジアに近いのだ。

地元から出られない子。地元に戻りたいけど戻れない子。その受け皿になるような企業になれるよう、挑戦してみようと思った。


でも現実は、甘くなかった

上場を目指すと決めても、課題は山積みだった。

うちはクリエイティブの会社だ。デザイン、Web、映像、マーケティング。29人の社員と4つの拠点で動いている。東京の制作会社に負けない機動力や、制作会社にしては珍しい各制作物をすべて自社で作れるという強みがある。

でも、広告業界は労働集約型で、どうしても人件費率が高くなる。受託の案件が中心だから、売上の波が読めない。今月忙しすぎて残業が続いたと思ったら、来月は案件が減って不安になる。この振り幅を小さくしたいのに、なかなかうまくいかない。

上場企業になるには安定した利益構造が必要だ。利益は構造の問題だとわかっている。属人性を減らして、仕組みで回せる部分を増やさなきゃいけない。

そこにAIを取り入れ、誰でもできる作業はAIで。人間がしなければいけない部分の時間を作る仕組みを構築し始めている。それが別で書いているAI勉強日記だ。奮闘しているが、まだできていない部分が多い。

社員には家族がいる。子どもがいる。みんな毎日がんばってくれている。彼らが「ハナビヤで働いてる」と胸を張れる給料を払いたい。でも、利益体質が弱い今の状態では、思うように上げられない。それが一番しんどい。

上場なんて、本当にできるんだろうか。不安になることもある。


とりあえずやってみよう

2024年6月、監査法人からショートレビューを受けた。結果はズタボロだった。

でも、まず目の前にある課題を少しずつ解決して、準備をしていこうと思った。

僕は、この会社を宮崎発の上場企業にしたい。

本社を宮崎に置き、地元が発展するための地域課題を解決できる会社にしていきたい。クライアントの広報部を丸ごと担えるような、クリエイティブとマーケティングの両方を網羅できる会社にしたい。

「宮崎に、都心部に負けないクオリティを出せる会社があるらしいよ」

県外の人からそう言われるようになりたい。そして、都会へ出たいけど出られなかった若者たちや、都会に出たけど地元に仕事がなくて帰れない人たちの受け皿になりたい。この宮崎の課題を解決できるような企業へとなっていきたい。

それが僕なりに考えたロックスターな企業だ。

地元で働くことが、東京に出ることの代替案じゃない。それ自体が選択肢として輝いている状態を作りたい。

宮崎の若者が「地元でもここまでできるんだ」と思えるような前例を作りたい。

起業した時も「とりあえずやってみよう」の精神で25歳で独立した。それが今も続いているから、時間がかかってもいいのでやってみる。挑戦してダメだったら、それはその時考えよう。

「とりあえずやってみる」の精神で、進めてみようと思います。

AUTHOR

遠山貴一

遠山貴一

宮崎でクリエイティブの会社をやっているハナビヤ代表。 この連載は、「会社運営や経営するリアル」を記録した実践日記です。